長く続けた教員を早期退職した理由

仕事

数年前、20年以上続けた仕事(養護教諭)を辞めました

今は短時間でも働きたいと思っていて、就職活動も少ししていますが、まだ再就職はできていません

仕事を辞めるときは、なぜやめた?とか、子育てとの両立が大変なのは一時期だけだよとか、もったいない、という反応が多かったですが…

30年来の友人に、勇気ある決断おめでとう、と言われたことがとても心に残っています。

やめることを選択したのにはいろいろな理由があります。

一つずつまとめてみたいと思います。

自分の心と体のこと

疲れ果てた、休みたかった

毎日働いて、保育園の送り迎え、帰宅したら猛スピードで食事の準備、食べたら片づけて入浴、寝かしつけ…

夜は疲れてスッと眠りに落ちますが、夜中に目が覚めて眠れなくなりました。

心から休める時間が全然なくて、いつも急いでいて、いつもギラギラしていました。

世の中の働くママたちはみんな、そうやってがんばっているというのはわかっていました。

わたしにはどうしてうまくできないのかなといつも思っていました。

夜眠れなくなった

娘を寝かしつけながら一緒に寝てしまっていたけど、2時間くらいで目が覚めて、そのあと眠れなくなる、ということがずっと続いていました。

夜中に目覚めて、いろいろなことを考えてしまうのです。

眠りによいというサプリメントなど試しながら、なんとか乗り越えていました。

一度心療内科を受診したときに、休職を勧めらたのですが、その時は休むなんて考えられなかったです…眠れないだけで休むなんて、と思っていました。

でも今思うと、眠れないって、すごく重大でつらいことですよね…

あの時の自分に、「ゆっくり休んだ方がいいよ」って言ってあげたいです。

一人の時間が欲しかった

本当に、猛烈に、一人になりたい!と思うことがあって…

職場でも家でも一人になる時間は全然なく。

通勤と退勤も時間との闘い。いつも急いでいました。

ごくたまに、コンビニに寄ってカフェラテを飲むことが、唯一の、癒しでした。

人間関係に疲れ果てた

退職前に勤めていた職場に、どうしても苦手な人が2人いました。

管理職と事務だったので、関わらないわけにもいかず…

どうしてもうまくいかなくて、涙することもしばしば…本当にむずかしかったなぁ…

その2人の異動は早くても1年後と思われたので、あと1年一緒に仕事するのは無理、離れるには辞めるしかないと決断しました。

仕事のこと

仕事への苦手意識

養護教諭をしていました。

養護教諭は基本的に学校に1人

子どもたちにけがや病気があったとき、まずいちばんに責任をもって対応しなければなりません。

その責任が、年を追うごとに、重く、重くのしかかってきました。

一人で対応するわけではなくて、周りの職員と協力するのはもちろんなのですがやはり、養護教諭という職の責任は重いです。

経験を重ねて、自信をもって対応できるようになると思っていたのですが、その逆でした。

若いころはどんなけがや病気にも、自分自身のもてる力をすべて使って対応できていたのに、いつのまにか、責任の重さから逃げたいという気持ちが大きくなってきてしまいました。

年を重ねた分、上手にやらなければならない、という気持ちが強かったのかもしれません。

子どもたちはとってもかわいかったですが、指導に難しさを感じることも多かったです。

人前で話したり、保護者と上手にコミュニケーションをとったりすることも、年とともに苦手意識が強くなってきてしまいました。

養護教諭会(研修組織)への苦手意識

私の住んでいる県には、まず県の養護教諭会があり、市町村の養護教諭会があります(養護教諭部会、養護教諭研修会、など、いろいろな呼び方があるかと思います)。

ベテランの年齢に入る私には、いろいろな役割が回ってきつつありました。グループの中でのまとめ役とか、大きな役ではなかったけれど、それが私にとって大きな負担になりました。

40代半ばで初めての市に異動したので、周りは知らない人ばかりだし、やる気に満ちた有能な方ばかりで、やる気のない私はたいへん居心地が悪かったです…

教育実習生への苦手意識

40代半ば、毎年教育実習生を受け入れている学校へ異動しました。

教育実習生に、いろいろなことを指導したり、お手本となるようふるまったりしなければなりません。これが本当に苦手で、苦痛でした。苦手なことばかりです(汗)

そもそも、指導というものが苦手なのだと思います。

そんな人がどうして教員になったのか、そこから間違っていたのかもしれません…

私が思う養護教諭像と、周囲から求められる養護教諭像は、歳を重ねるごとにどんどん離れていったのだと思います。

ちなみに教育実習生は、熱心で、まじめで、すばらしく有能な方たちばかりでした!

お給料が減ってもいい 時間外勤務のない仕事がしたい

娘を早く迎えに行きたくて必死で仕事をしていました。

会議が長時間になったり、時間外に打ち合わせが入ったり、放課後学級や部活動で学校に残っている子がけがや体調不良になったり、そもそも自分の仕事が終わらなかったりと、定時退勤は不可能でした。

遅くまで残って働くことがいいこと、早く帰る人は使えない人、そんな風に思われている感じもしていました。

時間外に急に入った打ち合わせを断って、年下の同僚からきつく言われたこともあります。今思い出しても、悲しい気持ちになります。

「日直」という制度もありました。日直の職員は、朝7時30分頃までに出勤し、学校の鍵を開けたり、掃除をしたり、お湯を沸かしたりしなければなりませんでした。職員の数にもよりますが、私の職場では、2週間に1度ほど回ってきました。夕方も、遅くまで残って、鍵を閉めたり、ごみを集めたりします。本当に嫌でした。

もう2年前のことなので、働き方改革が叫ばれている今はだいぶ職場の雰囲気も変わっているかもしれません。変わっているといいです!

家族のこと

娘の登園渋り

高齢出産でやっと授かった娘。

平日は朝と夜ちょっと会うだけのほったらかし。

保育園を卒園するまでの3年とちょっと、ほぼ毎日登園渋りで、送り届けた後、夫や私が遅刻して出勤することもしばしば。

1年生になったらどうなるんだろ…と心配でした

夫の仕事のこと

夫は私より年上で、会社でも少し、責任ある仕事をしています。

夫も一緒に子育てしていることに違いはないのですが、夫が、娘の登園渋りにより重要な会議を欠席したり、たびたび遅刻したりしていることに、申し訳ない気持ちをもっていました。

私が退職して夫の負担を軽くしたい気持ちもありました。

さいごに

夫の理解もあり退職することができましたが、次の仕事がそう簡単に見つかるわけもなく、家事苦手な私が専業主婦として生き生きとしていられるわけもなく…

辞めたことは全く後悔していないのですが、すべてが順風満帆というわけでもありません…

ブログではこんな私の試行錯誤をこれからも書いていきたいと思っています。

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